ツンちゃん

用田司(ようだつかさ)
一悟術ヒーラー

●プロフィール
30代の前半にシステムエンジニア(SE)の仕事に行き詰まる。

将来このままでいいのかと思い悩み、自分にあった仕事を探そうと動き出す。

当時スピリチュアルの世界とは無縁で、とある勉強会で一悟術ヒーリングという謎の能力を使う女性と出会う。

惹かれるがままお試しのヒーリングを受け、直感的に「これだ!」と思い、本格的にヒーリングを受けることに。

長年思い描いていた対人支援の仕事をする夢を叶え、
現在ヒーラーとして活動中。

●好きなこと
歩くこと

記事一覧(74)

依存の自分史〜第7夜〜

●前回までのふりかえりこんにちは、用田です。いつも依存の自分史をお読みいただきありがとうございます。前回は第6夜、大学四年生の頃のお話をしました。勝てるようになったらパチスロがますます面白くなりさらにハマっていきます。依存度ましまし。大学は授業の単位を挽回し、なんとか無事卒業できました。今回より社会人編に突入します。社会人1年目のぼくは、どんな生活をしていたのでしょうか?●大学卒業後の進路大学を卒業する直前に長期で働いた居酒屋を辞めました。長くいっしょに働いていたスタッフが辞めていったことそのほかにも職場環境が変わりそろそろ潮時かと思いました。大学を卒業したらどうしよう?とくに決まっていませんでした。いま振り返ると深刻に考えすぎていたのかもしれません。その時点でやりたい仕事、ではなく「人生をかけてやりたい仕事」を探していました。もっと気楽に選べたそんな気がします。ぼくの父は根っからの技術屋で、システムエンジニアの仕事を昔からずっとつづけていました。その父の背中を見てきた影響もあるのかもしれません。ひとまず何か仕事はしよう、とパラパラ求人情報誌をめくっていると障害者の作業所での仕事がありました。とくに介護や介助の経験はありませんが、ピンときたので応募したら受かりました。●生活障害者の作業所での仕事は週に3、4日。それ以外の日は、もっぱらパチスロざんまい。笑駅チカだけがメリットの、風呂なしエアコンなし給湯器なしの築40年以上たったボロアパートにひとり暮らし。仕事が休みの日はほとんど家におらず、パチンコ屋に入り浸り。夜に帰宅し、近くの銭湯で汗を流し、寝床につく日々。それなりに楽しくすごしていました。●障害者の作業所で仕事作業所とは、"障害者の人たちが働く仕事場"のことです。主にアスパックという緩衝材を袋詰めにする仕事です。障害者の人たちは、年齢がぼくと同じか少し上くらい。知的障害の人、身体障害の人重度の人、軽度の人いろんな人たちがいて多様性に富んだ職場でした。話すと同年代のぼくらと同じ。好きな子がいて、ハマっているものがあって体や心にハンデはあるけどそれ以外は健常者と変わりません。そうか。普通の人なんだ。むしろぼくよりもピュアで思うままに生きていました。彼らを支える家族や職員さんたちお手伝いしてくれるボランティアさんたちたくさんの人たちの関わりを間近でみて、愛を感じ癒されました。鴨川シーワールド、ディズニーランドホテル三日月、インターコンチネンタルホテル横浜みんなと一緒にいろいろなところに行き、普段行けないような場所や心あたたまるサービスを受けました。お金をもらい仕事をしながら、特別な時間をすごさせてもらいました。貴重なひとときだったと思います。●バイクの免許を取得パチスロでためた貯金でバイクの免許を取得しました。バイクで風を切って走る爽快感、行動範囲の広がり、自由度が広がりました。●打つ台が見つからなかった日は、友達と店周りこれが楽しみの1つで東京、神奈川近辺の駅という駅は全て降りたんじゃないかというくらいです。今日は〇〇線沿線を責めてみようとか以前まわったときに気になるお店があるからもう一度リサーチしようとかやっていました。知らない場所に行って新しいパチンコ屋さんを開拓してぶらぶらと散歩して美味しい食べ物屋さんに入ってことりっぷ、をたくさんしました。★依存●パチスロ主に悪友と一緒に行動。始発で電車に飛び乗り朝の6時くらいからパチンコ屋にいっしょに並んだり。結構勝ちやすいお店を見つけたので、アルバイト代に手をつけなくても十分生活できました。パチスロの無い人生なんて考えられないくらい楽しんでおりドップリハマっていたなぁ。パチンコ屋に行きパチスロするのがあたり前。お金があっても、なくても、あたり前のこととプログラミングされ、行かないと不安になったり、カラダがうずきだす。ある意味、食事や睡眠と同じくらいふつうなことで。生活の一部になっていました。当時は自分がギャンブルに依存しているとかそういう感覚はこれっぽちも持っていなくて。ただ、負けると気分が落ちてもうやめようかなぁと何度も思ったり、勝つと気分が高揚して、楽しいからまた行こう!と気持ちの抑揚を繰り返していました。10万円勝ったり5万円負けたりそれが日々のルーティンとなり、パチスロから得られる感情の大波に一喜一憂し、もはや自分の一部かのように同化しきっていました。今思うと、かなりストレスフルな状態だったと思います。●風俗に通い始めた気づかぬうちに、あらたな依存がはじまりました。風俗通いです。お金はここに流れました。20歳の時に彼女と別れて以来、女性とは縁がなくなり、風俗に行き始めました。嫌なことがあったり、思い通りにならないことがあるとスッキリしに行きました。人に自分の気持ちを話したり、想いを打ち明けたりアウトプットが苦手でたまったものがはき出せず肉体関係を持つことでストレス解消していました。●喫煙カラダに悪いとは思いつつ、タバコを吸い続けていました。なんで吸っていたのでしょうか?とくに理由があるわけでなく…好んで吸っていたわけでなく…デメリットだらけ百害あって一利なしのタバコですが、タバコが生活の一部になっていました。ほんと、何で吸っていたのでしょう?1つ考えられるとしたら、ストレス解消のため。タバコは煙を吐き出します。煙と一緒にストレスも一緒に吐き出せるのかも⁉︎と思いました。喫煙者によると、タバコを吸うことで気持ちを切り替えを行なっているようです。ため息のように煙をプハーっと吐き出すことで気持ちのリセットをしている⁉︎ただし、カラダの健康を犠牲にするので、メリットよりもデメリットが多いように感じますが。。とまあ、当時のぼくはこんな生活をしていました。●依存のメカニズムをぼくなりに検証してみるタバコ、これも依存が関係していると考えられます。カッコいいとか憧れとかまわりが吸っているからとかそんな軽い動機から友達に一本吸わせてもらう。マズくてむせるし、頭はクラクラするし、はじめは何がよいのかさっぱりわからないのですが、また人からもらってしまう。そうこうしているうちに、カラダが慣れてくる。人からもらうのもあれだから、と自分でタバコとライターを買う。そうして知らぬ間にハマる。タバコとセックスとパチスロ対象は違えど本質とプロセスは一緒。ぼくはそう思います。依存のきっかけなんてささいなもので、ある意味防ぎようがない。依存というのは、人の適応におけるひとつの側面かもしれません。善悪や良し悪しに関係なく、人は環境や状況に適応しようとする。適応がすすむと習慣に変わる。本能的にプログラミング化された行動なら、依存自体が悪いわけでもない。じゃあ、依存の対象が悪いのか?というと、そうとも言えない。「本人のこころの問題」と、ぼくは思っています。今日はここまでにしておきます。ありがとうございました。

人生再構築のきっかけ 〜一悟術ヒーリングの感想〜

先日、一悟術のヒーラーやリーダ数人が集まり、「一悟術ヒーリングを1クール20回受けて何が変わったか」について話をした。実はこの話をぼくはあまりしたくない。なぜなら、ヒーリングの最終回でショッキングな出来事がありそれを人に話したくないからだ。ただ、みんなの前で話すことで多少なりともとらえ方が変化した。「鉄は熱いうちに打て」のことわざのごとく、書くことがおっくうにならないうちに残しておこうと思う。一悟術ヒーリングを受けてショックだったことぼくはヒーリングが1クール20回終わるタイミングで会社を休職した。うつ状態がひどくなり、会社に行けなくなった。SEの現場に常駐していたのだが、20回目を目前にして出社拒否。「もう無理」となり、心の閾値が限界を超えてしまった。心療内科に行きうつ病と診断され3ヶ月間会社を休職した。ずっと抑圧し続けてきたものがおさえがきかなくなり爆発した。出社拒否をして、会社を休職した。これが、人に話したくないショッキングな変化だ。20回のヒーリングが終わったのだから、幸せになってハッピーエンド♪という期待を、心のどこかでしていた。そんな期待がかなわず、ショックを受けたのよ。親子関係の変化休職したのはショックな変化だっだけれど、それ以上にポジティブな変化がたくさんあった。一悟術ヒーリングを20回受けて感じた大きな変化。それは、、父親との親子関係が良くなったぼくは父親の会社で仕事をしている。なので、社長と従業員という関係性であり、親子という関係性でもある。”仕事に私情を持ち込まない”のなら、仕事で親子関係を語るのはナンセンスかもしれない。けれど、斬って捨てることもできない。父親との関係について少し話そうと思う。一悟術ヒーリングを受けるまで父親は小さい頃から距離が遠い存在だった。でも、急に距離をつめてくる時がある。それは母親の手に負えなくなった時だ。ぼくが反抗したり怒ったりして聞き分けがなくなり母親の手にあまった時父親にエスカレーションされる。そして、、、烈火のごとく怒られる。家の外に放り出される。叩かれる。これがいつものパターン。怖かった。近寄りがたい。自分から父に頼ったり、相談したりをした記憶は過去に一度もない。ヘマしたり失敗したりぼくがバカなことをやらかして、父親が登場する。そして叱られヘコむ。その繰り返しだった。一悟術ヒーリングを受けてヒーリングを受けている最中に、はじめて父親に仕事のグチを言えた。いままで自分の弱音を父親に話したことは一度もない。なんの解決にもならないけど、たまっていた毒を吐き出せた。常駐先の現場から会社に戻って仕事のグチをよく聞いてもらった。30歳を過ぎてはじめて自分から思っていることを素直に話せた。親子関係の改善が一歩進んだおかげで、しばらくの間は心の閾値が超えることなく持ちこたえられたのだと思います。会社を休職したのはショッキングな変化だったけど、親子関係が改善したのは嬉しい変化だった。人生の再出発のために一悟術ヒーリングは「人生のリスタート」のツールである。ヒーリングを20回受けることそれは、ぼくにとっての再出発のプロセスのはじまりだった。よい変化、わるい変化けっきょくはどちらも変化に変わりない。縛り付けているものから自由になり自分が思い描いた人生を歩むそんな道を歩きはじめた大きな一歩となったのが一悟術ヒーリングの20回のセッションだった。

依存のキロク 〜依存の自分史 第6夜〜

みなさまへ(はじめに)依存…こんな重々しいテーマの記事、誰が好き好んで書いているのか。笑ぼくが好きで書き始めたのですが。。汗先日ブログを読んでくれた方から感想をいただきました。読んでいると体調が悪くなるとか…読んでくださるのは嬉しいですが、無理して読まなくていいですからね!笑気楽にスルーしてください^ ^ただ、昨今の社会の流れとシンクロしているのでしょうか。ぼく自身も個人レベルにおいて、かくし事が出来なくなっている。深いところにドロドロしたものがまだ残っている。「ならば、さらけ出していこう!」と、自分の依存史を書いています。みなさんもドロドロしているものがあれば、すっきりしていきましょうね♪というわけで第6夜でございます。自分史の本編(大学三年おわり)ここからが本編です。第5夜のつづきです。時期は大学三年生のおわりくらい。近況とても忙しかった怒涛の大学3年が終わります。1年、2年生のとき授業をサボったツケが3年にまわってきて月曜から土曜まで終日授業ざんまいでした。その甲斐あってかほぼすべての授業の単位を取得し、なんとか進学の目処がたちました。居酒屋の仕事やパチンコ屋通いは相変わらずでしたが、多少ストレスが解消されたのかアトピーの症状もやわらぎました。この頃になるとまわりは就職活動ムードです。ぼくは、、、相変わらず何をしたいのかわからなくて、就活する気にもなりませんでした。やりたいことがわからないのに、とりあえず就職するとまわりは言っている…そんな気持ちで就職しても受からないだけだし仮に受かっても嫌なことがあればすぐ辞めるだろうし、、そんな風に考えると動く気にもなれません。ぼくはとうとう就活しませんでした。その頃の依存についてその頃のぼくは何に依存していたのでしょうか。居酒屋のバイトと仲間たち、パチスロ、タバコ、、もれなく依存は絶好調!笑こうするしか生きる術を知らなかったので致し方ないでしょう。アトピーは落ち着いた。学校の単位は付け焼き刃でなんとかなり大学は卒業できそう。4年生はこれまでよりもバランスが取れた生活になりました。アルバイトは夜勤の仕事回数を減らしました。授業の数も3年生のときにくらべ半分以下です。心身ともにゆとりができたので、親友からバンドのお誘いがありベースを担当してみたり。学校の授業居酒屋のアルバイトパチスロバンド活動学生生活さいごの1年になり学業、仕事、プライベートのバランスが取れ楽しみました。と、同時にパチスロにはさらにのめり込みました。一度ハマると飽きるまでどっぷりな性格です。勝ち方の理論やスキルが身につき、結果にわかりやすく出るので自分がレベルアップする感じが味わえてさらに楽しい。勝ったときの爽快感。これが1番です。負けたときの悔しさ。負けると爽快感を味わえません。そうなると、爽快感をまた味わいたいという欲求の肥大化。大きく負けるともうやめようとその日は思うけどまた数日経過すると、負けた悔しさよりも爽快感を味わいたい気持ちが勝つ。そして、パチスロを打ちに行く。その繰り返し。加えて勝つための立ち回りや考え方まで覚え、いかに良い台に最短で確実にたどり着けるかまで追求するようになりました。結果、面白くてやめられなくなりました。依存の考察自分がパチスロに依存していたなんて、当時は思いもよりませんでした。依存の最大の落とし穴は無自覚なままに、いつのまにか対象との距離が取れなくなってしまう。自分の一部のように、対象をとらえてしまい「対象がなければ生きていけない」そんな境地に達してしまうことなのでしょう。距離感ゼロでべったりとくっつく依存対象にたいして客観的に見ることができない。これが最大の問題なのでしょう。当時のぼくにとってパチスロは無くてはならないものに”いつの間にか”なっていました。次回予告次回は、大学を卒業し社会人1年目の頃を書いていきます。

動ける身体講座へのアツき想い

こんにちは。 用田司です。これからご紹介する文章は、動ける身体講座(第2期)の案内文にも使われた、講座へのアツい想い(アツ苦しい!?笑)がギュッと込められた一文でございます。ご興味ある方は、アツさにやられない程度にお読みください。笑講座を受ける前今までぼくは‥歩き方について考えたことはなかった。姿勢について意識こそしていたが誰かに教わったことはなかった。2016年5月より心と身体のバランスを整えようと、ヨガのクラスに習い始めた。以前は整体に通っていたが、誰かに頼るのではなく自分で身体を整えたいと思った。やり始めると身体のことに興味が湧いて夢中になった。見よう見まねで習ったことを自宅で反復した。ヨガの書籍を購入し、自分の身体を実験材料に研究をした。はじめのうちはヨガの時だけ身体のことを意識したが、次第に日常生活の中でもヨガのポーズを意識して生活するようになった。そして、日常生活の「歩く」という行為にも注目するようになった。もともと、歩くことが好きでマラソンや自転車よりも歩くことが好きだ。禅僧ティクナットハン師の「歩くことは瞑想だ」という言葉の影響や適度なwalkingは身体に良いという情報の影響もある。歩くことに意識が向くようになると「どうしても力が入ってしまう」ことに気づく。他にも肩こりや腰の痛み、地に足が付いていない感覚など自分の身体の問題点が浮き彫りになっていた。講座の案内が届いてそんな折、「覚醒のための動ける身体講座 第1回」の案内がメールで届いた。案内を読んで「これだ!」と思い、その場で参加のメールを送った。今振り返ると、ふさわしいタイミングだった。ずっと引きずっていた負債をまとめて返済し、問題が片付いた。父親の会社を引き継いで事業を発展させようと決心した。「40歳になったら結婚する」というプライベートでの目標まであと1年と迫っている。仕事もプライベートも「さあ、これから!」という動きだすタイミングであった。講座による身体の変化講座の趣旨は以下である「ゆるめる」「身体感覚を取り戻す」「本来の動きを身につける」本来の自然な動きを身につける‥整体やヨガに通うこととの大きな違いはここにあった。この講座には過去・現在・未来があるのだ。ゆるめるは過去感覚を取り戻すは現在本来の動きは未来につながる。ぼくが身体に対して今までやってきたことは「過去」と「現在」に対するアプローチだった。約2ヶ月間、全3回の講座に参加し、ぼく個人の主観だが、こんな効果を感じた。・ガニ股歩きが矯正された・軽やかに歩けようになり、さらに歩くのが好きになった・歩くことの固定観念が外れた・歩くことでリラックスする、ときに瞑想状態になる・所作動作が丁寧になる・手足の指先まで意識がいく・心にゆとりができる・かかと着地から、前足着地(フォアフット)になる・足指が柔らかくなる・足の指がまっすぐに伸びて、足のサイズが一回り大きくなる・背面の筋肉がついてきた・足裏に根っこがはえたようにグラウンディングが高まる・前屈、ベターっと手が地面につく・身体の安定感がアップした・身体および各関節が伸びている感覚が強まる動ける身体に特に感じた変化として、「歩くことは、足を前に踏み出すこと」ぼくは今まで当たり前のようにそう思ってきた。けれど、その常識は覆された。「身体を前に傾ければ、自然と足がついてきちゃう」歩くことはこんなにラフな感覚であった。今までの自分はどれだけ歩くことを頑張ってきたのだろうと思い知らされた。この2ヶ月間、初回の講座で教わった3つのポーズの体操を日々反復した。自宅でときに会社でFacebookで参加者同士がやり取りしお互いを切磋琢磨し合った。こうして、みんなの協力もあって「動ける身体」が生まれた。動ける心に同時に、「前進することは、頑張って一歩前に踏み出すこと」という固定観念は粉々になり、「前進することは、心を前に傾けること」と書き換えられた。ああ…こんなにもラフな感覚で前に進めるんだ無理して葛藤して頑張って踏み出していく必要はもうないんだそう思った時、「動ける心」が生まれた。そして、動ける人へと本の編集長に立候補し、父親の会社を引き継ぐべく、業務の引き継ぎや新規事業の興すための事業計画書を書き、40歳になったら結婚するという目標に向かい動き出し、尻すぼみだったヒーリングの活動も再起した。平日はこれまで同様、システムエンジニアの仕事もしている。今までなら、これだけのマルチタスクをこなせる心の余裕は無かった。しんどくなって潰れてしまう。それが今は、それとなくできてしまう。もちろん、やりすぎて疲れることやついつい頑張りすぎることもある。でも、回復が早いというか、疲れたら休めるようになったというか、とにかく無理なく、たとえ無理しそうになってもストップできる。前に傾けた心をニュートラルに戻す。たったそれだけでいい。「動ける身体」と「動ける心」その2つが揃った時いつの間にか、ぼくは「動ける人」へと変わっていた。身体の変化、気づき、感動…この感覚をみんなにも知って欲しくて、講師の岡村茂さんに相談し、今回の企画が実現することになりました。”動き出したい人”へ「動ける身体」と「動ける心」を手に入れてあなたも動き出しませんか。★9月1日(土)からはじまる講座のご案内はこちらです。 → 「覚醒を目指す人の動ける身体講座(第4期)」

動ける身体講座の感想(第3回 「本来の動きを身につける」)

おはようございます!動ける身体講座 企画の用田です。動ける身体講座の感想をまとめた投稿も今回で3回め。これまでの2回の講座では身体をゆるめて(第1回)、感覚を取り戻して(第2回)、それぞれのプロセスにおいて効果的なトレーニングを教えてもらい積み上げてきました。第3回のテーマは「本来の動きを身につける」。"関節"という身体の深いところにフォーカスしました。第3回講座の感想講座のはじめの時間帯は、第1回、第2回のトレーニングを復習しました。そのあと、「なぜ関節にフォーカスするとからだ本来の動きを取り戻せるのか?」を、講師の岡村さんから座学で教わり実際に関節のトレーニングを習いました。トレーニングは簡単でけっこうユルい感じ。力はいっさい必要なくカラダを振り子のように動かすだけ。でも、ひととおりトレーニングをやったあとはあ、、、カラダが軽い。なんか動きやすい♪そんな実感がありました。関節にカラダほんらいの動きを学習させる。すると、さほど負荷をかけずにカラダが動く。ムリ、ムダがなくなる感じ。気持ちいい♪笑そんな実感を得つつ全3回の講座が終了したのでした。終わったあとは、みんなで懇親会に行きお酒を飲みながら盛り上がりました。美味しいお酒を飲みながら、「トレーニングの成果を試そうよ」「なら、登山に行こう!」「どこの山に登る?」など話がふくらみ登山に行く事になります。講座の期間中はあっという間だけど、密度の濃い日々をすごした〜って感じ。ほんと、楽しかったです♪全3回の講座のまとめ講座は回を追うにつれて、筋肉から関節へダイナミックさから繊細さへとカラダのより深いところに入っていく感じでした。動きで表現するなら、ぎゅーん、ぎゅーんと伸びやかになり、さらにはすとーん、すとーんと軽やかさがプラスされて。動ける身体になっていくのを感じました。あと思ったのは、ゆるめる感覚を取り戻す本来のうごきを身につけるこの一連のプロセスって、、、心と同じジャン!カラダも成長のプロセスは同じなんだと実感。しかもカラダの方が変化がわかりやすい!笑トレーニングは、facebookの秘密のグループを作りみんなでやっていきます。トレーニングをする場所は離れていても、講座の期間中はみんながつながっている。たとえトレーニングをお休みしてもみんなの投稿が励みになって再開しやすい。だからこそ、3日坊主が得意技のぼくでも続けられた。笑ほんとありがたいな、と思いました。お知らせ動ける身体講座の感想は今回で最後になります。読んでくださりありがとうございました。お知らせが2点あります。来月の9月1日(土)からはじまる第4期講座の参加枠にまだ空きがあります。ご興味ある方は コチラ の案内をお読みになり、案内の下の方にあるお申込みページよりふるってご応募ください。また、動ける身体講座関連の投稿をこれまでにもいくつか書いています。ご興味ある方は、おまとめページはコチラ となりますのでどうぞご覧ください。どうぞよろしくお願いします!